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人の感性は、環境によって変化する。

私は里山に足を踏み入れて以来、今まで気づかなかったものに気づき

感動しなかったものに感動するようになった。

ここでは、日常的なあるがままの自然を提供する。

どれか一つにでも安らぎを覚えていただければ幸いである。

N.N 里山再生委員会メンバー


川原のメジロ集団(2月23日)
里山の川は、ススキや低潅木がぎっしり生え、ネコヤナギも芽吹いている。
土手をあるいていると、一度に10羽ぐらいのメジロが群れて前に飛び、小さな枝木やススキに止まる。
彼らに追いつくと、また少し前に飛んで止まる。まるで彼らと遊んでいるようだ。

Photo : downsized to 770 x 576pxls
with NIKON D70
Updated on Feb. 24, 2008

バックナンバー

夜の天使(9月1日) カラス瓜は軒の周りにも見られるほど、どこにである。縦にすじの入った赤い実は秋の里山の風物詩。しかし、花となると開花しているのを見た人は少ない。この花は夜に開花するからだ。夜中、里山へ出かけて薄暗い中にかすかに見える白い花に焦点をあて、すまないと言いながらフラッシュをたいた。さぞびっくりしただろう。フラッシュのもとに浮かび上がったのは幻想的なカラス瓜の花、夜の天使たち。
ギンランのメッセージ 
(5月13日)
ある薄暗い林の道端に今まで1つしか咲いていなかったギンランが今年は5つも咲いている。6つ目は路の真ん中にあって既に私の靴の下。雑草じゃあるまいし、なぜこんな危ないところに咲くのか。踏んだ私を責めないで、この可哀そうな花を責めてしまった。人間よ、驕るなかれ、お前が勝手にこの路をつけ、踏み入ったのだということを忘れるな。
ピンクの春リンドウ見つけた
(4月16日)
サクラが満開になる頃、春リンドウは姿を見せてくれる。篤農家の里山リーダー中島武男さんが花の咲く春に備え、秋に雑草を刈り取って下さっている。毎年の心配りが里山に訪れる人たちへのプレゼントだ。一輪だけピンクの春リンドウが咲いていた。中島武男さんもピンクの春リンドウは初めて見たと言っておられた。
里山の恋(3月18日) 朝の散歩で見かけた雉の雄。お尻をこちらに向けている間にそっと近づく。しばらくすると土手の下に降りてきた。その時反対側の笹の茂みから雌が出てきて一緒に餌を探し始めた。春は鳥たちの繁殖期。普段は見られないカップルが見られる。
ヒバリ(2月11日) 急に空が賑やかになった。ヒバリたちが空でピーチク・パーチクさえずっている。早春の陽光の中急傾斜で空に上昇し、さえずりながら羽を速くパタパタし(ホバリング)、急降下する。他の鳥に比べ保護色で、枯れ草の田んぼの土手に降りたなら、なかなか見つけにくい。
キツネ(1月22日) 里山の多くの動物は夜行性なので昼間見ることは少ないが、早朝夕方には時々見ることができる。しかし、近年彼らの住む環境が変化し固体数が減少している。異常気象、開発、冬季乾田による環境変化、それに伴う餌の減少などが原因。リスは15年前から姿を消した。うさぎも以前ほど見ない。代わりに猿と鹿が里山や民家の近くに出没、作物の被害が出ている。久し振りに見かけたこのキツネも怪我か病気かよろよろしていた。今の里山は鳥以外元気がない。
キッコウハシグマ(11月5日) 漢字で亀甲白熊と書き、葉が亀の甲に似ており花はチベットのヤクの尻尾の毛(ハグマ)に似ているところから名づけられた。山田の土手の半日陰のところに咲いている。1cm足らずの花で草むらに隠れているため気づきにくいが、いくつかの場所で見つけたので、そうめづらしくもない。マクロで撮影すると、その純情可憐な極めて淡いムラサキがかった白い花びらに魅惑される。
ウメバチソウ(10月20日) 花の形が梅鉢の紋に似ていることからこの名がつけられた。水気の多い山田の土手に群生している。種がこぼれて増えていくが、草丈の高くないよく管理されたところが適している。
イナゴ(9月18日) イナゴが田んぼに戻ってきた。稲穂にイナゴ、赤とんぼのあの昔あった情景が戻ってきた。環境こだわり米で低農薬農法の成果が現れてきたと見る。田んぼの稲はもう大半が刈り取られた。イナゴは今草むらや畑、花壇にまでいる。
アゼムシロ(9月4日) 背が低く小さいので目に付きにくいが、7月から9月にかけて水田の畦に生えている。畦にむしろを引いたように一面に広がることからこの名前がつけられた。拡大して見ると手のひらのような花のつき方をしている。
白いアザミ(6月11日) 園芸種ではいろいろな色の花が作られているが、野生の白いアザミは珍しい。人間の社会では一人だけ違うといじめの対象になるか、タレントのようにもてはやされるかである。里山のアザミは、いとしき花、どの色も静かに咲き誇っている
春の妖精(3月20日) 春の妖精(spring ephemeral)といえば、カタクリの花である。残念なことに大久保の里山にはない。しかし、ウグイスカズラをこの時期に見つけて以来、私はこの花を春の妖精と名付けた。ウグイスカズラは、他の木に先駆けて10mmも満たない小さいピンクの花を咲かせる。目を近づけて見るときれいな花なのに、ほとんど人の目に止まらずに花期を終える。
薪割り(2月22日) 里山の雑木や間伐材は、かって薪や薪炭として有効利用されたが、家庭の熱エネルギーが石油にとって代わり、里山の利用はこの面でもかなり減った。里山再生委員会のリーダーである中島武男さんは、毎日欠かさず山に出ている。この日もたくさんの割木を作られた。
柚子(1月1日) 凍りつくような朝、里山の道の土手に植えられた柚子が、鈴なりになっている。冬至柚子湯に入ると、風邪をひきにくくなるという。色のない季節、緑の葉っぱの下柚子の実はとてもの鮮やかだ。
落葉の香り(12月18日) 雑木林は、葉っぱがほとんど落ちて明るくなった。カサカサ音を立てて落葉の上を歩く。時々、芳ばしいにおいが漂う。特定の落葉の匂いなのか、醗酵した腐葉土の匂いなのか分からないが、これが雑木林の匂いなのだ。
散歩道(11月20日) 里山再生プロジェクトが始まった頃は、子どもの頃いつか来た山道だったが、今やいつも通る散歩道となった東の古道の入り口である。コナラの倒木の下をくぐるると、昔も変わらぬ世界がある。春夏秋冬の花やキノコが私の心を和ませてくれるが、そこに住む動物たちにとっては、厳しい時もある。今年はドングリが少ない。動物たちはひもじいだろう。
ウメバチソウ(10月23日) 里山の少し水気の多い斜面にウメバチソウが群生している。草むらの中から長く突き出しているやや緑っぽい白い花びらは、梅の花びらを思わせる。英語名「湿原の詩人」は、音楽と詩の聖地であるパルナッソス山に由来すると思われる。
エリマキツチグリ(10月9日) 雨の日山に出かけた。雨後のタケノコのようにいろいろなキノコがニョキニョキでている。エリマキをした赤ちゃんのようなこのキノコは、口をとがらして、お乳お乳と言っているようだ。
夏の終わりに(9月11日) 黄色に帯びた稲穂にとんぼが飛ぶ様子は、セピア色した昔を思い起こさせてさせてくれる風景。色づいた田んぼをスイスイ飛ぶとんぼの風景は、夏の終わりと秋の始まりをしっかり告げる絵画のようだ。ぼーと眺めていると、いそがしい毎日の生活のリズムを少しばかり忘れさせてくれるひとときの時間。この時間よ止まれ
里山の納涼祭(8月15日) 大久保区の子供達 どんな明日の夢を描いているのかしら 
私は何を描こうかな 僕はオリンピックの夢 私は花に みんな芸術家きどり。
みんないい子どもだわ 後姿の背中がまるくてそのまま大きくなーれ
里山の水路(6月15日) 上流の大原ダムからは農業用水として里山の尾根近くを水路が設置されている。朝の散歩で里山リーダーの中島武男さんに出会った。水利委員として水路の保全は大切な仕事だ。毎日里山に仕事にいかれるので、不法投棄もよく見つけられる。
里山の池(6月12日) 里山にはあちこちにため池がある。かっては水田の水源として利用されていたが、多くは水田の整備により使われなくなった。水もなくなり消えかかっている池もある。子どもの頃よく魚釣りをした池だ。
金ラン銀ラン(5月13日) 黄色い花芽の金ランは、いくつか見ているが、いつも歩いている林の中の道端にある朝ふと見つけたのが白い花芽をつけた銀ランであった。離れてみればよく似ているが、銀ランの方が優雅に見える。佳人薄命か、蕾が見えてから花が萎むまでわずか10日あまりであった。人があまり行かない里山で、人目に会うチャンスは稀であるといえる。
ムラサキケマン(4月28日) 谷間のあまり日の当らないところで群生していた。花より緑の葉っぱが美しかった。一輪が美しいものもあれば、みんなで集まると美しく見えるものもあるんだなあ。
創健館(薬草風呂)が見える水田(4月20日) しろかきの終わった里山の田圃には水がはり、5月連休の田植えの準備が出来ている。朝の散歩のひと時、水に映る木立と創健館の風景にふと立ち止まった。
タチツボスミレ(4月11日) どこにでもあるスミレも近接撮影するとその美しさに見とれてしまう。ありふれた物、小さいものもよく見れば美しく個性的である。人の社会も同じではないか。
アケビの花(4月11日) 真ん中に沢山ある花が雄花で、外側にある少し大きい二つの花が雌花である。こんなに沢山の花が咲いているのに、秋の実は多くない。全部の花が実になったら大きな木にしっかり絡まないと重みで落ちてしまうだろう。子どもの頃アケビ取りは手の届かない高いところにあって、指をくわえて眺めていることが多かった。
春ラン(3月28日) 春を告げる欄、シュンランは3月末に里山に行くと日の当る南面のあちこちに咲いている。所によってはジジババというが、名前の由来は分からない。下の花弁はおじいさんのヒゲのように見え、二つの帯緑色の萼片は、おあばあさんが手拭をかぶってるようにも見える。
コナラの実の発芽(3月21日) 秋に落ちたドングリは、春を待つまでもなく落ち葉の下で芽を出していた。今年はたくさんの実が落ちたが、ほとんどの実は食べられたり、踏まれたりして発芽しない。この実も育って欲しいと願うが、細菌にやられたりして成木になる確率は極めて低い。これが自然というもので、森の生態のバランスを保っている。
こんにちは赤ちゃん(3月3日) 夏から秋にみられるツチグリというきのこだが、山道の斜面にあるのを今頃気付いた。袋の中はがらんどうになっているようだ。蛸の足のような斑模様の外皮で今にも動き出しそうだが、丸い本体が可愛く見えて、赤ちゃんのイメージがする。
ウグイスカズラ(3月3日) 越冬の虫を探しているうちにふと気付いたのがこの木の花である。他の木々のつぼみはまだ硬いのに、この木にはちらほらと10mmほどの小さい花が咲いている。山道から日の当る側の木々の中に入ってよく見ないと気付かない小さくて可憐な花である。
冬の里山(2月) 落ち葉で埋まった里山の冬。樫、クヌギなどの落葉樹のところは葉が散って明るい。落葉しない広葉の照葉樹が増えてきたという。光と落ち葉の恩恵を受けているもの達はやがていなくなってしまう。
ねむの木のカイガラ虫(2月) ねむの木の枝のあちこちに小さなガムをくっつけたような白いかたまりが見える。ガムのように柔らかい。ひっくり返して裏側を見るとジャム入りのマシュマロのように、赤い部分が見える。これが虫だとは思えない。
春を待つナワシログミ(2月) 10月頃に花が咲き、実を付けたまま越冬し、翌年の苗代を作る5月頃にに実が熟す。越冬中は、硬い表皮で寒さからしっかり守られている。花のように見えた萼がしぼんで先に残っている。
雪帽子の山柿(1月) 山柿は、直径3cmほどの赤い実をつけるが、渋くて食べられない。葉っぱがさきに散ってしまい、赤い実が鳥にも食べられずに取り残された。白い砂糖雪をかぶると少しは甘く見える.
ブナの井戸端会議(2月) 雑木林、見上げると高い空から木々が私を見下ろして、なにやら話ているようだ。
私はだんだん小さくなる。
里山の夜明け(1月) 日の出前、里にはまだ街灯の灯りが見えている。夜餌を求めて動いていた山の動物たちもねぐらに帰る時である。薄暗がりの中、いきなり前を鹿が一匹横切ったと思うと、あっという間に見えなくなった。
ホコリダケ(1月) 倒木の上に古壺発見。はたまた鉄の花瓶か。ポーンと叩いてみたら、中から煙が出て来た。どうやら、古いホコリダケのようだ。
フキノトウ(2月) 2月初旬、落ち葉をめくればフキノトウがもう芽を出している。
中の花の蕾は早く出たいとひしめき合い、外の表皮は時の来るまで抑えている。
雪の下のエノキダケ(1月) 雪の下の落ち葉の家からエノキダケの家族が顔を出している。
厳寒の日には、兄弟たちはもっと身を寄せ合っているように見える。
明けの月(12月) ほうの木のシルエット